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NTTドコモがサービス撤退、PHS、累積営業損5000億円、事業再編も効果なく。2008/01/08, 日経金融新聞, 5ページ, 有, 1643文字
加入件数、トップに立てず
NTTドコモ(9437)は七日、PHSサービスを終了した。一九九五年七月に別会社でサービスを始めたが、当初から赤字続きだった。ドコモ本体に集約した九八年十二月以降も状況は変わらず、営業赤字は累計五千億円近い。NTT(9432)民営化後の新規事業として初めて新電電系と同時に参入したが、当初から不採算で、撤退に追い込まれた。(川瀬憲司)
PHSは当初、通話料の安さなどを売り物に登場。当時の携帯電話市場は九四年四月の端末売り切り制の導入直後で、割安感のあるPHSは一部で人気を博した。若者の間では「ピッチ」という愛称も生まれ、九七年九月には加入件数が約七百七万件と、携帯電話の四分の一に達した。
NTTグループはドコモが四八%、NTTが二八%出資する別会社「NTTパーソナル通信網」でサービスを開始。旧DDI系の「DDIポケット電話」、電力会社やJRグループが中心の「アステル」と同様、全国九―十社体制を敷いた。
だが携帯電話の値下げで割安感が失われ、エリア拡大でも携帯電話に追い付かなかった。事業の再構築ではNTT陣営が最初に動いた。九八年五月にパーソナル九社を清算、ドコモが吸収を決定。これに伴い九八、九九年三月期でドコモが約千八百億円、NTTが約千百億円のPHS関連損失を計上した。九八年十月のドコモの株式上場や翌九九年七月のNTT再編成を控え、PHS問題に早くメドを付けたいとの思いがあったようだ。
もっとも、ドコモへの統合後も収支は一向に改善しなかった。〇七年九月中間期までPHS事業の売上高が計六千六百二十四億円に対し、営業赤字は単純合計で四千九百七十二億円。〇二年三月期まで日本の会計基準で公表した収支をすべて米国会計基準に引き直しても「営業損失は累計で約四千八百億円」(ドコモ広報部)になる。
ドコモがPHS事業の吸収に伴う分と合わせて計上した損失は約六千六百億円。十年以上にまたがるとはいえ、〇八年三月期の連結営業利益見通しの八五%に匹敵する。
PHSは通信自由化後、NTTと新電電系が初めて同時に始めた事業。アステルグループは既に姿を消したが、DDIポケットをKDDI(9433)から受け継いだウィルコムはサービスを続ける。〇七年三月期、同九月中間期には営業黒字を計上した。結局、NTTグループはPHSで一度もトップに立てず、多額の赤字だけを垂れ流してサービスに幕を閉じたことになる。
【表】PHS事業の歩み
1993年10月 札幌で実用化実験を開始
94年〓12月 DDI系の「DDIポケット電話」、電力・JR系の「アステル」、NTT系の「NTTパーソナル通信網」の3グループが郵政相に事業申請。各グループとも全国9―10地域会社体制
95年〓7月 北海道と首都圏でサービス開始
10月 全国にサービス拡大
97年〓9月 加入件数(月末ベース)がピークの706万8000件に
98年〓2月 ドコモ、NTTパーソナルの吸収検討が表面化
3月 NTTとドコモで合計約1750億円のPHS関連の損失を計上(99年3月期と合わせ損失は約2800億円)
5月 NTTパーソナル9社の清算決定
10月 ドコモが株式上場
12月 NTTグループ、PHS事業をドコモに集約
99年〓4月 アステル東京、TTNetが吸収。アステルグループの解体始まる
7月 NTT再編成
2000年〓1月 DDIポケット9社が合併
04年〓10月 米カーライル・グループがDDIポケットの単独筆頭株主に
05年〓2月 DDIポケット、ウィルコムに社名を変更
5月 ドコモ、PHSの新規受け付けを終了
06年〓1月 ドコモ、07年度第3四半期でのPHSサービス終了を発表
12月 東北インテリジェント通信、PHSサービスを終了。アステルグループが完全に消滅
07年〓12月 総務相、ウィルコムの「次世代PHS」に次世代高速無線免許
08年〓1月 ドコモ、PHSサービスを終了
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