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カナダの首相スティーブン・ハーパーは、こんな人

 投稿者:市民  投稿日:2009年 2月20日(金)14時53分8秒
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  http://www.news.janjan.jp/world/0810/0810159488/1.php

カナダの首相スティーブン・ハーパーは、こんな人

jANjAN ニュース 2008/10/16

10月14日、カナダ総選挙が行われた。ハーパー首相はあえて解散・総選挙に打って出たものの、目標の過半数は達成できず、引き続き野党と協調しての政権運営を強いられる。

カナダの総選挙は、ハーパー首相率いる与党・保守党が勝利にした。獲得議席は、保守党・143(改選前・127)、自由党・76(95)、ケベック連合・50(48)、新民主党・37(30)、緑の党・0(0)、無所属・2(2)となった。保守党は目標の過半数に届かなかったものの、スティーブン・ハーパー首相は続投となった。

 総選挙は、ケベック連合(Bloc Québécois)が保守党過半数を阻止(block)した。過半数獲得のため解散に打って出たハーパー首相の標的は、保守党が歴史的に苦手としてきたケベック州だった。解散直後の風向きは良く、首相はケベックでの議席倍増を目論んだ。だがケベック連合は、ハーパー政権の芸術助成削減と少年犯罪厳罰化について執拗な攻撃を加え、ケベックでの支持率を40%の大台に乗せ50議席を獲得した。保守党はケベック州で前回と同じ10議席に留まり、モントリオールでは1議席も獲れなかった。

 Stephen Joseph Harper:1959年トロント生まれ。家族はローリーン夫人と一男一女。カルガリー・サウスウェスト選挙区選出下院議員。2006年2月、カナダ首相に就任。1978年、トロント大学に入学するが2ヵ月でドロップアウトし、アルバータのインペリアル石油に勤めた後、1985年カルガリー大学で経済学を修め、1991年カルガリー大学修士課程を修了。

 高校生のころ自由党のトルドー首相に憧れた彼は、自由党青年団に所属していたが、トルドーが推進した石油利潤を各州に再分配する「国家エネルギー計画」は、若い日の彼には納得できなかった。1985年、進歩保守党のジム・ホークス議員の秘書となるが、同党のブライアン・マルローニ首相のケベック優遇に幻滅して離党、1987年の改革党創設に参加する。

 党創設大会での演説でプレストン・マニング党首に注目されたハーパーは、20代で政策委員長に抜擢される。1988年総選挙ではマニフェストの作成を任されたが、全員が落選。ハーパーもカルガリー・ウェスト選挙区で、かつて仕えたホークスに挑んだが落選した。

 1993年総選挙でホークスを破り、初当選。だが、改革党は西部のための党にすぎず、大票田の中部では全く受け容れられなかった。また改革党が極右に傾いていくことに、ハーパーは危機感を抱いた。そして彼自身は同性婚に反対にもかかわらず、政党は良心の問題に立ち入るべきでないと主張した。

 1995年には進歩保守党の一派が、シャレー党首とマニング党首を追放してハーパーの下で新党を結成しようと謀る事件が起きた。ハーパーはやがてマニング党首と対立するようになり、1997年議員を辞職し、2000年総選挙にも出馬せず、国政の第一線から身を引いた。

 その後に結成された新党カナダ同盟の党首に2002年3月就任し、同年6月の補選で当選して、国政に復帰。2003年12月には、老舗の進歩保守党との保守合同を実現してカナダ保守党を結成し、党首に選出された。

 彼が党首として心を砕いたことは、政権交代であり、そのための中部進出、そして極右から中道右派への路線転換だった。彼は2つの党の間でバランスを保つため、新党の綱領に妊娠中絶反対・フランス語公用語化反対を盛り込むことを阻止した。こうして新党結成後まもなく挑んだ2004年総選挙では、政権獲得はならなかったものの、改革党では成し遂げられなかった中部での議席獲得を実現し、政権交代可能な二大政党の一角としての存在感を示すことに成功する。そして与党自由党の汚職を受けて行われた2006年総選挙で勝利し、12年ぶりの保守政権を樹立した。

 カナダ首相は圧倒的に弁護士出身が多いが、ハーパーはロースクールを卒業していない。また、カトリックが多いなか、ハーパーは福音派クリスチャンである。大学を中退していること、自由党・進歩保守党・改革党いずれも主流になり得なかったことなど、ハーパーの経歴はエリートにはほど遠い。

 だが、彼の独特の経歴・バランス感覚は、右翼のカナダ同盟と中道右派の進歩保守党の合同に、重要な接着剤となっている。保守党政権は同性結婚廃止を公約していたが、2006年12月に野党の反対で頓挫すると、首相のハーパーは「将来、この問題を蒸し返すことはしない」と約束した。また同年11月、ケベック連合提出の「ケベック人は国を構成する」動議についても、他党に反対させるための謀略と見抜き、「ケベック人はカナダの中で国を構成する」という修正動議を提出し、ケベック連合を逆に反対に回らせた。

 人権問題には独特の対応を見せる。中国系移民への人頭税について2006年6月に謝罪し、誤った情報を提供したためシリア系カナダ人がシリアで投獄された事件についても2007年1月に謝罪、カナダ国籍のウィグル人活動家が中国で拘束され2007年4月に起訴された件では、中国に抗議している。同年11月には日本の慰安婦非難決議に同調し、2008年6月には先住民への同化政策について謝罪、同年8月には北京オリンピックボイコットは拒否したものの、開会式への出席を見合わせた。

 そのほか、就任以来の好景気を背景に2年連続で消費税を引き下げている。環境問題については、産油州アルバータを基盤としていることから、京都議定書の目標達成には及び腰である。

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記者会見をフランス語で行った。
 

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